街中で見かける親子連れ。泣き続ける子供に叱責する親、子供の寂しそうな眼差しに気付かない親、頑張ったことを素直に褒めてあげることができない親、「愛してるよ」ということを子供に伝える事ができない親。

大人になると、たくさんの妥協や我慢が当たり前になり、それゆえにそのストレスに耐えながら、子供にも同じように妥協や我慢を学ばせようと厳しくする。

でも、考えてほしいのです。

自分はどうしてこんなにも我慢と妥協の連続なのだろう。そのせいで、自分らしくあることを失っていないだろうか。自分らしくあることの大切さを子供から奪っていないだろうか

家づくりに携わる者として言わせてもらえば、社会の中で我慢と妥協をして、家に帰っても我慢と妥協を強いられるとすれば、自分らしさというのはどこで表現できるのでしょう。

家に帰りたいと思えるのは、そこが安寧の場所だから。自分らしくなれる場所だから。

純粋無垢な子供たちは、まさに自分らしさを身に着けていく世代。ところが、大人になるにつれて自分らしさを殺していかなければならないのが日本と社会文化。この考え方が、家づくりにも表れているんですよね。

自分が大人になった、という認識はいつ生じたいのでしょうか。社会に出てから? 結婚してから? 子供が生まれてから? よく考えてみると、いつまでも自分は未熟だと思うことが多いのではないでしょうか。

大人になっても失敗を繰り返し、問題を引き起こし、誰かを傷つけてしまう。誰かに指摘されなければいけないことはたくさんあります。でも、怒られたいですか? それとも優しく諭され、慰められたいですか?

妥協と我慢の連続ではなく、自分の可能性と個性をもっと尊重して欲しい。のびのびと生きる中で、家族を、子供たちを愛し続け、愛され続けたい。誰もがそう思っているはず。

そのために、「愛されたい」という子供の自然な欲求を、自分自身についても思い起こす必要があると思います。そう、子供のような純粋無垢な気持ちを取り戻し、その観点から、子供と接するのです。

そうするとき、子供は自分の幸せを第一に考えてくれる一番の相談相手が親であるということを肌で感じることができるはずです。必ず。