ほとんどの方が、「今の必要」「近い将来の必要」を考えて家づくりをします。判断基準が自分目線になるからなんですね。部屋の間取りやキッチンの仕様のこだわりなどにそれが表れます。
もちろん、子供が巣立っていくまでに良い子育て環境を実現したいと真剣に考えている方も多いのです。
しかし、経済的な現実、土地の限界などがあり、結果として「合理的」「効率的」に物事を考えてしまいがち。中には子供の成長に合わせて家を使おうと、子育てにおいても家の合理性や効率を求めてしまいます。
今のことを考えて建てる家の落とし穴
現時点で家に期待したいことはたくさんありますが、そこに落とし穴があります。
実際には、人も生活も変化するのです。
今の自分が「良い」と思っていても、将来も同じ価値観を持っているとは限りませんし、子供たちも同じ価値観を持って育つということも期待できるわけではありません。
子供達も変化します。しかも、必ずしも親の思い通りにすべてが順調に進むわけではありません。
それゆえに、考え方の中と家の仕様の中に、適格な「余力」「余裕」が必要になってくるんです。
子育てには合理性も効率も無い
実際、子育ては計画通りにも予想通りにも行きませんよね。子供たちはロボットでも奴隷でもないからです。
合理的に子育てをするということは、親が持つ「合理的」という基準の枠に子供をはめ込むことになり、その枠からはみ出る子供を「悪い子」とみなしてしまうかもしれません。
自由な中でもルールがあり、小さな失敗のうちにそれに気付かせて大きな失敗を避けられるようにそっと手助けする子育てをしようと思ったら、家の中で自由があるほうが良いのではないでしょうか。
自分で考え、自分で行動し、自ら人々に親切を示せる人間になるかどうかは、子供が家庭内で自由に考えて行動し、それを安全な環境でできるかということがポイントになります。
ということは、家という器にキャパシティーが求められますし、「遊び」「余地」が必要です。つまり、いざという時に何とでもなる空間づくり、ということですね。
ここでもやはり「臨機応変」に対応できることが大切だということになります。
合理性を追求しようとすると、便利なものを増やそうとしたり、一定の流れに沿ったものばかり導入したりして、後から変更することが難になることも。
住み続けたい家にすると
親が動けなくなって介護や介助が必要になった時、家の居心地が良い、使いやすい、過ごしやすい、ということが子供たちが家に戻りやすくなるための重要な要素となります。
苦しいときに、子供が「一緒に住もう」と言ってくれたら嬉しいですよね。
しかし、それは「合理的」「効率的」な仕方で教えることは決してできません。じっくり時間を掛け、子供とのコミュニケーションを図る必要があり、今、住むべきなのはそのための家でなければなりません。
健康で元気な人にとっては合理的でも、病気や老齢に伴う難儀があれば不便で仕方がない。経験のある大人にとっては合理的でも、成長の過程にある子供にとっては理不尽でしかない。
それが当たり前。
その当たり前なことを受け入れてもらえる家庭環境を達成するために、住環境に「使い方キャパシティー」を設けるべきであり、そこで生まれる思い出と感謝の想いが、この家に住み続けたいという感動へと繋がっていくのです。